歴史的なヒト胚標本を、現代の画像技術でよみがえらせる-Blechschmidt Collectionのデジタル化と三次元再構築-
先天異常標本解析センターとわれわれの研究室は、ドイツ・ゲッティンゲン大学に保存されている歴史的なヒト胚・胎児標本群であるBlechschmidt Collectionについて、連続組織切片をデジタル化し、現代の画像処理技術を用いて三次元再構築を行いました。
Blechschmidt Collectionは、米国のCarnegie Collection、日本の京都コレクションと並ぶ、世界的に重要なヒト胚・胎児コレクションの一つです。
しかし、これらの歴史的標本は作製から長い年月が経過しており、染色の退色やガラススライドの劣化が避けられません。
そこで本研究では、標本を将来にわたって保存・活用するため、市販のフラットベッドスキャナーによるデジタル画像化と、コンピュータによる三次元再構築を試みました。
その結果、Blechschmidt Collectionの貴重な連続切片標本から、胚・胎児の外形や中枢神経系などを三次元的に可視化できることが示されました。
さらに、三次元再構築された外形から、標本のCarnegie stage分類も可能であることが分かりました。
本研究成果は、2017年11月3日に公開されました。
研究の背景

ヒトの形づくりを理解するうえで、胚発生の過程を直接観察できるヒト胚標本は非常に重要です。
こうした標本は、
- 発生学
- 先天異常の理解
- 再生医療
- 形成外科
- 進化発生学
など、さまざまな分野の基礎となる貴重な研究資源です。
世界には、歴史的に重要なヒト胚コレクションがいくつか存在します。
代表的なものとして、
- 米国のCarnegie Collection
- 日本の京都コレクション
- ドイツのBlechschmidt Collection
があります。
これらの標本は、現代では新たに大規模に収集することが非常に難しく、すでに保存されている標本をいかに守り、活用していくかが大きな課題となっています。
特に、古い連続組織切片では、
- 染色が薄くなる
- ガラススライドが劣化する
- 標本の取り扱いによって破損のリスクがある
- 研究者が現地へ行かなければ観察できない
といった問題があります。
そこで本研究では、Blechschmidt Collectionの標本をデジタル化し、現代の三次元画像解析に利用できるかを検討しました。
Blechschmidt Collectionとは
Blechschmidt Collectionは、ドイツ・ゲッティンゲン大学の解剖学センターに保存されている、歴史的なヒト胚・胎児標本コレクションです。
Erich Blechschmidtによって1945年以降に体系的に収集され、現在も貴重な連続切片標本や立体模型が保存されています。
このコレクションには、120例以上のヒト胚・早期胎児の連続組織切片が含まれています。
多くは厚さ10 μm程度の切片として作製され、ヘマトキシリン・エオジン染色のほか、AZAN染色やMasson染色など、古典的な組織染色も用いられています。
また、Blechschmidt Collectionは、精巧な拡大立体模型でも知られており、これらの模型は多くの発生学教科書にも掲載されてきました。
研究の方法

本研究では、Blechschmidt Collectionに保存されている標本のうち、保存状態の良い16例を選び、デジタル化を行いました。
対象標本の大きさは、CRL 3.0 mmから64.0 mmまででした。
デジタル化
各ガラススライドを、市販のフラットベッドスキャナーを用いてスキャンしました。
- 解像度:4800 ppi
- 保存形式:BMPおよびJPG
- スライド上の標本情報もあわせて記録
高額な病理用スライドスキャナーではなく、市販スキャナーを用いた点が本研究の特徴です。
これにより、比較的低コストで、連続切片全体を効率よくデジタル化することができました。
三次元再構築
デジタル化した画像のうち、代表的な2標本を選び、さらに詳しく解析しました。
- CRL 64.0 mmの大型胎児標本
- 中枢神経系を抽出し、三次元再構築
- CRL 17.5 mmの胚標本
- 外形を三次元再構築し、Carnegie stageを判定
画像は切片ごとに整列させ、ImageJやAmiraなどのソフトウェアを用いて三次元モデルを作成しました。
主な結果
1. Blechschmidt Collectionの16標本をデジタル化できました
本研究では、Blechschmidt Collectionのうち、CRL 3.0〜64.0 mmの16標本について、連続切片のデジタル画像を取得しました。
標本には、
- 横断切片
- 矢状断切片
- 前額断切片
が含まれており、染色法もHE染色、AZAN染色、Masson染色などさまざまでした。
得られた画像は、細胞レベルの詳細観察には限界があるものの、胚・胎児全体の形や臓器配置を観察するには十分な情報を持っていました。
2. CRL 64.0 mmの大型標本で、中枢神経系を三次元再構築しました
CRL 64.0 mmの標本は、ヒト発生学の連続組織切片としては非常に大型で、京都コレクションにはない貴重なサイズの標本です。
この標本では、切片画像上で中枢神経系を手作業で抽出し、三次元再構築を行いました。
その結果、
- 大脳
- 側脳室周辺
- 小脳
- 脊髄
- 中枢神経系全体の輪郭
を三次元的に観察することができました。
シルビウス裂の出現や小脳の分化なども確認でき、歴史的標本であっても、現代の画像処理によって臓器形態を改めて解析できることが示されました。
3. CRL 17.5 mmの胚標本では、外形を明瞭に三次元再構築できました
CRL 17.5 mmの標本では、連続切片画像を積み重ねることで、胚全体の外形を三次元的に再構築することができました。
この標本では、切片作製に伴う歪みが比較的少なく、良好な三次元モデルが得られました。
再構築された外形から、
- 頭部と尾部の曲がり
- 上肢の肘の屈曲
- 下肢足板の指間切れ込み
などを明瞭に観察することができました。
4. 三次元外形からCarnegie stageを判定できました
CRL 17.5 mmの標本について、三次元再構築された外形をもとに発生段階を判定したところ、Carnegie stage 20の後半に相当すると判断されました。
Blechschmidt Collectionでは、従来、標本は主にCRLや作製日で管理されていました。
しかし、ヒト胚発生を比較するうえでは、CRLだけでなく、形態学的特徴に基づくCarnegie stage分類が非常に重要です。
本研究により、歴史的な連続切片標本であっても、三次元再構築を行うことで、Carnegie stage分類を再評価できることが示されました。
これは、Blechschmidt Collectionを京都コレクションやCarnegie Collectionと比較しながら研究するうえで、大きな意義を持ちます。
5. 神経節や気管支などの内部構造も観察できました
CRL 17.5 mm標本では、最大値投影のような表示方法を用いることで、
- 神経節
- 気管支
- 中枢神経系
- 消化管
- 肝臓
などの内部構造も比較的明瞭に観察できました。
このことから、デジタル化した連続切片は、外形観察だけでなく、臓器や組織の立体的な位置関係を調べる研究にも利用できることが示されました。
この研究の意義
本研究は、歴史的なヒト胚・胎児コレクションであるBlechschmidt Collectionを、現代のデジタル画像技術によって再活用できることを示した研究です。
今回の成果から、
- 古い連続組織切片をデジタル保存できること
- 市販スキャナーでも、巨視的な三次元再構築には十分な画像が得られること
- 歴史的標本から、臓器や外形を三次元的に再構築できること
- 三次元外形に基づいてCarnegie stage分類が可能であること
- Blechschmidt Collectionを、京都コレクションなど他のコレクションと比較研究できる可能性が広がること
が示されました。
ヒト胚標本は、現在では新たに大規模収集することが極めて困難です。
そのため、既存の歴史的標本を守り、デジタル化し、次世代の研究に活かすことは非常に重要です。
デジタル化の利点
標本のデジタル化には、多くの利点があります。
標本を劣化から守る
実物のガラススライドは、観察や移動のたびに破損リスクがあります。
デジタル画像を使えば、実物標本に触れる機会を減らし、貴重な標本を保護できます。
退色しない記録を残せる
組織染色は時間とともに薄くなります。
しかし、一度高品質にデジタル化しておけば、その時点の情報を長期的に保存できます。
遠隔地から研究できる
実物標本は所蔵施設でしか観察できませんが、デジタルデータであれば、研究者が遠隔地からアクセスできる可能性があります。
これにより、国際共同研究も進めやすくなります。
三次元解析に利用できる
連続切片をデジタル化すれば、切片を積み重ねて三次元モデルを作ることができます。
これにより、従来の二次元観察では分かりにくかった臓器の形や位置関係を立体的に理解できます。
今後の展望
今後は、Blechschmidt Collectionのデジタル化をさらに進めるとともに、
- より多くの標本の三次元再構築
- 心臓・血管系・消化器系・骨格系など各臓器の抽出
- Carnegie stageに基づく再分類
- 京都コレクションとの比較解析
- 歴史的模型とデジタル三次元モデルの対応づけ
- 画像の歪み補正技術の導入
- 国際的なデジタル胚発生アーカイブへの活用
を進めることで、ヒト発生学の研究基盤をさらに強化できると考えられます。
われわれの研究室では今後も、京都コレクションをはじめとするヒト胚標本のデジタル化・三次元解析を進め、貴重な標本を未来の研究へつなげていきます。
論文情報
論文タイトル
Blechschmidt Collection: Revisiting specimens from a historical collection of serially sectioned human embryos and fetuses using modern imaging techniques
著者
Reina Miyazaki, Haruyuki Makishima, Jörg Männer, Hans-Georg Sydow, Chigako Uwabe, Tetsuya Takakuwa, Christoph Viebahn, Shigehito Yamada
公開日
2017年11月3日
DOI
https://doi.org/10.1111/cga.12261
ひとこと
ヒト胚標本は、発生学にとってまさに“時間を閉じ込めた記録”です。
しかし、どれほど貴重な標本であっても、年月とともに少しずつ劣化していきます。
今回の研究では、Blechschmidt Collectionという歴史的な標本群をデジタル化し、三次元的に再構築することで、古い標本から新しい知見を引き出せることを示しました。
過去の研究者が残した貴重な標本を、現代の技術でよみがえらせ、未来の発生学へつなぐ――その第一歩となる研究です。

