大脳の“しわ”はどのように刻まれていくのか-胎児脳の脳回形成-
吉田さんは卒業研究で、ヒト胎児期において、大脳皮質の“しわ”である脳溝・脳回がどのように形成されていくのかを、MRI画像を用いて定量的に解析しました。
ヒトの大脳皮質は、発生の初期には比較的なめらかな表面をしています。
しかし胎児期が進むにつれて、脳表面には溝が入り、折りたたまれた複雑な構造へと変化します。
この過程は**脳回形成(gyrification)**と呼ばれ、ヒトの脳発達を理解するうえで非常に重要です。
本研究では、京都コレクションに保存されている妊娠16〜40週相当のヒト胎児22例についてMRIデータを解析し、脳回形成の進み具合を**gyrification index(GI)**という指標で定量化しました。
その結果、GIは胎児体重が約500 g、CRLが約200 mmに達するまではほぼ1.0で推移し、その後、体重やCRLの増加に伴って上昇することが明らかになりました。
本研究成果は、2016年8月7日に公開されました。
研究の背景

ヒトの大脳皮質は、成人では多数の脳溝と脳回を持つ複雑な形をしています。
この折りたたみ構造によって、限られた頭蓋内の空間に広い大脳皮質面積を収めることができます。
一方、発生初期の大脳はなめらかな表面をしており、胎児期の中ごろから少しずつ脳溝が現れ始めます。
代表的な初期の脳溝には、
- 外側溝、シルビウス裂
- 帯状溝
- 嗅溝
- 鳥距溝
- 頭頂後頭溝
などがあります。
これまで、ヒト胎児脳の脳溝・脳回形成については、形態学的な記載が多く行われてきました。
しかし、「どの時期に、どの程度しわが増えるのか」を数値として示した研究は限られていました。
近年、脳回形成の程度を表す指標である**gyrification index(GI)**は、自閉スペクトラム症、統合失調症、強迫性障害などの神経発達症との関連でも注目されています。
そのため、正常なヒト胎児脳におけるGIの発達過程を明らかにすることは、脳発達の基準をつくるうえで重要です。
研究の方法
本研究では、京都大学の京都コレクションに保存されているヒト胎児標本のうち、外表上明らかな異常がなく、保存状態の良い22例を対象としました。
対象標本は、
- 妊娠16〜40週相当
- 男性10例、女性12例
- 体重:約80.6〜3380 g
- CRL:約110〜380 mm
を含みます。
画像解析には、1.5テスラMRIで取得されたデータを用いました。
MRI画像から脳を三次元的に再構築し、冠状断画像を用いて大脳皮質の折りたたみの程度を評価しました。
gyrification index(GI)とは

本研究では、脳回形成の程度を表す指標として**gyrification index(GI)**を用いました。
GIは簡単に言うと、脳表面の“折りたたまれた長さ”が、外から見える表面の長さに対してどれくらいあるかを示す値です。
- 脳表面がなめらかで、ほとんど折りたたみがない場合:GIは約1.0
- 脳溝が深くなり、脳表面が複雑に折りたたまれる場合:GIは大きくなる
つまり、GIが高いほど、大脳皮質の折りたたみが進んでいることを意味します。
本研究では、連続する冠状断MRI画像で左右大脳半球のGIを測定し、発生段階や体重、CRLとの関係を解析しました。
主な結果
1. 胎児体重約500 gまでは、GIはほぼ1.0で推移しました
解析の結果、胎児体重が約500 g、CRLが約200 mmに達するまでは、GIはおおむね1.0前後で推移しました。
これは、この時期までの大脳皮質表面が、全体としてまだ比較的なめらかであることを示しています。
もちろん、初期の脳溝は一部で現れ始めていますが、大脳皮質全体としてみると、折りたたみの程度はまだ限られていました。
2. 体重約500 g、CRL約200 mmを超えると、GIが増加し始めました
胎児体重が約500 g、CRLが約200 mmを超えると、GIは体重やCRLの増加に伴って上昇し始めました。
これは、胎児期の中期以降に大脳皮質の折りたたみが本格的に進むことを示しています。
特に、体重3000 g前後、CRL 350 mm以上の胎児では、GIは2.0を超える値に達していました。
成人のGIはおよそ2.5〜3.1とされているため、出生前にはすでに大脳皮質の折りたたみがかなり進んでいることが分かります。
3. 初期の脳溝は胎児体重280 g前後から確認されました
本研究では、胎児体重が約281 gに達した標本で、いくつかの初期脳溝が観察されました。
確認された主な構造には、
- 外側溝、シルビウス裂
- 帯状溝
- 嗅溝
- 鳥距溝
- 頭頂後頭溝
などがあります。
これらは、ヒト大脳皮質の発達において比較的早く形成される一次脳溝です。
ただし、この時期のGIはまだ大きく上昇しておらず、局所的な溝の形成が始まった段階と考えられます。
4. 500 g前後から、皮質の急速な成長と脳溝形成が目立つようになりました
胎児体重が500 g前後に達すると、大脳皮質の成長がより明瞭になり、脳溝形成も急速に進み始めました。
この時期には、島皮質が外側溝の奥へと次第に埋もれていく様子も観察されました。
これは、周囲の前頭葉、側頭葉、頭頂葉の成長によって、島皮質が表面から見えにくくなっていく過程を反映しています。
5. 31週相当では、主要な一次脳溝が明瞭になりました
体重約1400 g、妊娠31週相当の胎児では、主要な一次脳溝が明瞭に確認されました。
観察された脳溝には、
- 中心溝
- 中心前溝
- 中心後溝
- 上前頭溝
- 下前頭溝
- 頭頂間溝
- 上側頭溝
- 下側頭溝
- 島周囲溝
- 鳥距溝
- 頭頂後頭溝
などが含まれます。
この時期には、大脳皮質の折りたたみが広い領域で進み、成人脳に近い基本的な脳溝パターンが整い始めていることが分かりました。
6. 40週相当では、二次・三次脳溝も観察されました
体重約3380 g、妊娠40週相当の胎児では、一次脳溝に加えて、より後から形成される二次脳溝・三次脳溝も観察されました。
この時期のGIは約2.0前後で、出生前には大脳皮質の折りたたみがかなり進んでいることが示されました。
ただし、成人のGIと比べると、特に前頭葉や側頭葉の領域ではまだ低い値が残っており、出生後も脳回形成が続く可能性が示されました。
7. GIの増加は、脳の部位によって異なりました
本研究では、大脳半球を前後方向、すなわち吻側から尾側に沿って解析しました。
その結果、GIの分布には部位差があることが分かりました。
胎児期の早い段階では、GIの局所的なピークは、シルビウス裂など初期に形成される一次脳溝の位置と対応していました。
その後、胎児期が進むにつれて、特に頭頂後頭領域でGIが高くなる傾向が見られました。
一方、前頭葉や側頭葉のGIは出生時点でも成人より低く、これらの領域では出生後にも折りたたみの発達が続く可能性があります。
8. 左右差は大きくありませんでした
左右大脳半球のGIを比較したところ、各断面ごとの曲線には多少の違いがありましたが、平均GIには大きな左右差は認められませんでした。
これは、胎児期の脳回形成が、左右でおおむね協調して進むことを示しています。
この研究の意義
本研究は、ヒト胎児期の大脳皮質における脳回形成を、MRI画像とGIを用いて定量的に解析した研究です。
今回の成果から、
- 胎児体重約500 g、CRL約200 mmまではGIがほぼ1.0で推移すること
- その後、体重やCRLの増加に伴ってGIが上昇すること
- 初期の一次脳溝は胎児期中期に出現すること
- 31週相当では主要な一次脳溝が明瞭になること
- 40週相当では二次・三次脳溝も観察されること
- GIの増加は頭頂後頭領域で先行し、前頭葉・側頭葉では出生後も発達が続く可能性があること
- 左右半球の平均GIには大きな差がないこと
が明らかになりました。
これらのデータは、正常なヒト脳発達の定量的な基準として重要です。
また、神経発達症や脳形成異常における脳回形成の異常を理解するための基礎資料にもなります。
従来の研究との違い
これまで、胎児期の脳溝・脳回形成は、主に肉眼解剖や組織学的観察によって記載されてきました。
しかし、脳表面の折りたたみがどの程度進んでいるかを数値として評価する研究は限られていました。
本研究では、MRI画像を用いることで、胎児脳全体を非破壊的に観察し、GIを用いて脳回形成の進行を定量化しました。
さらに、大脳半球全体の平均GIだけでなく、吻尾方向に沿った局所的なGI分布も解析しました。
その結果、脳回形成が単に全体で一様に進むのではなく、部位ごとに異なるタイミングで進むことを示すことができました。
脳回形成と発達・疾患との関係
脳回形成は、脳の構造発達を反映する重要な現象です。
近年、GIの異常は、さまざまな神経発達症との関連が報告されています。
たとえば、
- 自閉スペクトラム症
- 統合失調症
- 強迫性障害
- 皮質形成異常
- 滑脳症や多小脳回などの脳回形成異常
などでは、大脳皮質の折りたたみパターンが通常と異なる場合があります。
そのため、正常な胎児期におけるGIの発達過程を明らかにすることは、こうした疾患の発生機序を理解するうえで重要です。
本研究のデータは、将来的に胎児MRIや小児脳画像との比較にも役立つ可能性があります。
今後の展望
今後は、脳回形成のしくみをさらに詳しく理解するために、
- より高解像度MRIによる皮質厚の解析
- 脳溝ごとの形成時期の定量評価
- 前頭葉・側頭葉における出生後発達との比較
- 胎児MRIによる臨床データとの対応
- 神経発達症や脳形成異常との比較
- 三次元的な局所GI解析
- 遺伝的要因や細胞増殖パターンとの関連解析
を進める必要があります。
われわれの研究室では今後も、京都コレクションの貴重な胎児標本と三次元画像解析を組み合わせ、ヒト脳がどのように複雑な構造へ発達していくのかを明らかにしていきます。
論文情報
論文タイトル
Dynamics of gyrification in the human cerebral cortex during development
著者
Ririko Yoshida, Koichi Ishizu, Shigehito Yamada, Chigako Uwabe, Tomohisa Okada, Kaori Togashi, Tetsuya Takakuwa
公開日
2016年8月7日
DOI
https://doi.org/10.1111/cga.12179
ひとこと
ヒトの脳は、最初から複雑なしわを持っているわけではありません。
胎児期のはじめには比較的なめらかだった大脳皮質が、成長とともに少しずつ折りたたまれ、出生に近づくころには複雑な脳溝・脳回を持つようになります。
今回の研究では、その“しわが刻まれていく過程”をGIという数値で追跡しました。
脳の折りたたみは、単に見た目の変化ではなく、脳の成長や領域ごとの発達を反映する重要な指標です。
正常な脳回形成を定量的に理解することは、ヒト脳の発達だけでなく、神経発達症や脳形成異常を考えるうえでも大切な基盤になります。

