ヒトの脳は、発生段階ごとにどのように大きさを変えるのか
小林さんは卒業研究で、ヒト胚期の脳が発生段階に応じてどのように成長するのかを、MRI画像を用いて定量的に解析しました。
ヒトの脳は、胚期の短い期間に非常にダイナミックに形を変えます。
神経管の頭側端から前脳・中脳・菱脳という基本構造ができ、その後、大脳半球や小脳などの複雑な構造へと発達していきます。
しかし、発生段階ごとに、どの長さ・面積・体積がどのように変化するのか、また超音波診断などで使いやすい計測指標は何かについては、十分な基準データがありませんでした。
本研究では、京都コレクションのヒト胚MRIデータを用い、CS13〜CS23の101例について、脳の長さ・面積・体積を詳しく測定しました。
その結果、すべての計測値はCRLと相関しましたが、発生段階に対する増え方は指標によって異なることが分かりました。
特に、**両側側頭径(bitemporal diameter:BT)**は、脳全体および前脳の体積と非常に強く相関し、胚期脳発生を評価する有用な指標となる可能性が示されました。
本研究成果は、2016年2月6日に公開されました。
研究の背景

近年、胎児診断における超音波技術は大きく進歩しています。
特に、高周波経腟プローブや三次元超音波の発展により、妊娠初期の胚の形をより詳しく観察できるようになってきました。
こうした分野は**sonoembryology(超音波胚学)**とも呼ばれ、正常発生の理解だけでなく、早期の発生異常の検出にも役立つことが期待されています。
一方で、妊娠初期のヒト胚では、脳が非常に速く、かつ複雑に変化します。
たとえば、
- CS13ごろには、前脳・中脳・菱脳という三つの脳胞が明瞭になる
- CS15以降には、終脳の発達が目立つようになる
- 脳室などの脳腔が大きく変化する
- 各脳領域の成長速度が発生段階によって異なる
といった特徴があります。
そのため、単に「大きくなったかどうか」だけではなく、どの発生段階で、どの部分が、どのように成長するのかを定量的に知ることが重要です。
古典的な発生学研究では、連続組織切片を用いて脳の形態が詳しく記載されてきました。
しかし、組織切片では固定や脱水による変形・収縮が生じることがあり、三次元的な計測にも手間がかかります。
また、Carnegie stageに基づいたヒト胚脳の定量データは限られていました。
そこで本研究では、MRI顕微鏡データを用いて、ヒト胚脳の発生段階ごとの形態計測を行いました。
研究の方法
本研究では、京都大学の京都コレクションに保存されているヒト胚標本から、MRIデータが取得され、外表上明らかな異常がない101例を対象としました。
対象となった発生段階は、
- CS13〜CS23
- 各ステージおよそ9〜10例
- CS13のみ5例
です。
MRI画像を用いて、以下の3種類の計測を行いました。
1. 長さの計測
脳の各領域を反映する7つの線分を測定しました。
主な計測項目は以下の通りです。
- 前後径:前脳の大きさを反映する指標
- 両側側頭径(BT):左右の側頭部間の距離
- 中脳長(ML)
- 中脳高(MH)
- 小脳長(CL)
- 小脳高(CH)
これらは、超音波画像でも応用しやすい可能性のある、比較的シンプルな線計測です。
2. 面積の計測
正中矢状断において、
- 前脳
- 中脳
- 菱脳
- それらを合わせた脳全体
に相当する領域の面積を測定しました。
3. 体積の計測
MRI画像を手動でセグメンテーションし、三次元再構築を行うことで、
- 脳全体
- 前脳
- 中脳
- 菱脳
の体積を測定しました。
また、胚期脳では脳室などの脳腔が大きな割合を占めるため、
- 脳腔を含む体積
- 脳腔を除いた脳組織のみの体積
の両方を解析しました。
主な結果
1. すべての長さの指標はCRLと相関しました
測定した7つの長さの指標は、いずれもCRLと強く相関しました。
つまり、胚全体が成長するにつれて、脳の各部位も大きくなることが確認されました。
特に、
- 前脳に関係する前後径
- 両側側頭径
- 中脳長・中脳高
- 小脳長・小脳高
はいずれも、CRLと高い相関を示しました。
このことは、これらの線計測が、胚期脳の成長を評価する基本的な指標として有用であることを示しています。
2. ただし、発生段階ごとの増え方は一様ではありませんでした
CRLとの相関は強い一方で、Carnegie stageごとに見ると、すべての指標が単純に直線的に増えるわけではありませんでした。
特に、
- 前後径
- 中脳長
- 小脳長
などでは、CS19〜CS20ごろに増加が一時的にゆるやかになる、いわばプラトーのような時期が見られました。
一方で、
- 両側側頭径(BT)
- 中脳高(MH)
は、CS13〜CS23にかけて比較的直線的に増加しました。
この結果は、胚期脳の発達では、部位ごとに成長のテンポが異なることを示しています。
3. 面積は発生段階とともに増加しました
前脳・中脳・菱脳の面積は、CS13からCS23にかけて増加しました。
多くの領域では、指数関数的な増加としてよく説明できました。
特に、前脳と中脳では、発生段階が進むにつれて面積が大きく増加しました。
これは、胚期後半に向かって、終脳や大脳半球の発達が目立ってくることとも一致します。
一方で、菱脳領域ではばらつきも大きく、脳腔の変化が影響していると考えられました。
4. 脳組織の体積は指数関数的に増加しました
脳腔を除いた脳組織のみの体積を見ると、脳全体、前脳、中脳、菱脳はいずれもCS13からCS23にかけて指数関数的に増加しました。
これは、胚期の脳組織が短期間に急速に増大することを示しています。
一方で、脳腔を含めた体積では、CS19〜CS20ごろに増加が一時的にゆるやかになるような変化が見られました。
これは、脳組織そのものの成長だけでなく、脳室などの脳腔の大きさが大きく変化するためです。
5. 胚期の脳では、脳腔が非常に大きな割合を占めていました
胚期の脳の特徴として、脳室などの脳腔が大きいことが挙げられます。
本研究では、CS14〜CS18の時期に、脳腔の体積が脳組織の体積を上回ることが分かりました。
脳全体における脳腔体積と脳組織体積の比は、CS17で最大となりました。
また、この傾向は特に菱脳で目立ちました。
菱脳の脳腔、すなわち将来の第四脳室に相当する領域は、CS19ごろに大きくなり、その後の形態変化に影響していると考えられました。
この結果は、胚期脳を計測する際には、脳組織だけでなく脳腔の変化も考慮する必要があることを示しています。
6. 両側側頭径は、脳全体と前脳の体積をよく反映しました
本研究で特に重要だったのは、線計測から体積を推定できるかを検討した点です。
その結果、**両側側頭径(BT)**は、
- 脳全体の体積
- 脳腔を除いた脳全体の体積
- 前脳の体積
- 脳腔を除いた前脳の体積
と非常に強く相関しました。
特に、脳腔を除いた場合、
- BTと脳全体体積:非常に高い相関
- BTと前脳体積:さらに高い相関
が得られました。
このことから、BTは、胚期の脳発生、とくに前脳発達を評価するうえで有用な指標である可能性があります。
7. 中脳や菱脳でも、線計測から体積をある程度推定できました
中脳では、
- 中脳長
- 中脳高
のいずれも、中脳体積と高い相関を示しました。
また、菱脳では、
- 小脳長
- 小脳高
が菱脳体積と相関しました。
つまり、脳の各領域に対応した適切な線計測を選ぶことで、三次元的な体積変化をある程度推定できる可能性があります。
これは、臨床の超音波検査など、体積を直接測ることが難しい場面で役立つ知見です。
この研究の意義
本研究は、ヒト胚期の脳について、Carnegie stageに基づいて長さ・面積・体積を体系的に測定した研究です。
今回の成果から、
- CS13〜CS23におけるヒト胚脳の定量的な基準データが得られたこと
- すべての線計測値がCRLと相関すること
- ただし、発生段階ごとの増え方は指標によって異なること
- BTとMHは比較的直線的に増加すること
- 脳組織体積は発生段階とともに指数関数的に増加すること
- 胚期では脳腔が大きく、CS17ごろに脳腔/脳組織比が最大になること
- BTは脳全体および前脳体積をよく反映すること
- 線計測から脳領域の体積を推定できる可能性があること
が明らかになりました。
これらのデータは、正常なヒト胚脳発生の基準として重要です。
また、妊娠初期の超音波診断や、脳発生異常の早期評価にも役立つ可能性があります。
従来の研究との違い
これまで、ヒト胚脳の形態計測は、主に組織切片を用いた古典的研究に基づいていました。
しかし、組織切片では標本の変形や収縮が生じることがあり、正確な三次元計測には限界がありました。
本研究では、MRI顕微鏡データを用いることで、標本を破壊せずに脳全体を観察し、任意の断面を正確に再構成することができました。
これにより、従来よりも安定した形態計測が可能になりました。
さらに、本研究では単に長さを測るだけでなく、
- 長さ
- 面積
- 体積
- 脳腔を含む体積
- 脳腔を除いた脳組織体積
を組み合わせて解析しました。
その結果、胚期脳の発達を評価するには、どの指標が有用かを比較することができました。
特に、両側側頭径が前脳発達の良い指標となる可能性を示した点は、本研究の大きな特徴です。
超音波診断への応用可能性
妊娠初期の超音波診断では、できるだけ簡便で再現性の高い計測指標が求められます。
三次元的な体積計測は有用ですが、日常診療で常に詳細に行うことは簡単ではありません。
その点、線計測は比較的実施しやすく、特にBTのように脳全体や前脳体積をよく反映する指標は、将来的に早期胎児・胚の脳発達評価に応用できる可能性があります。
ただし、胚の発生段階は妊娠週数だけでは正確に判断できないことがあります。
同じ妊娠週数でも、胚の発生進行には個体差があるため、Carnegie stageに基づいた基準データが重要になります。
本研究のデータは、超音波画像で得られる計測値を、発生段階に応じて解釈するための基礎資料となります。
今後の展望
今後は、ヒト胚脳発生の計測指標をさらに臨床に近づけるために、
- 超音波画像とMRI計測値の直接比較
- 妊娠週数、CRL、Carnegie stageの対応関係の再検討
- より臨床で測定しやすい線計測指標の選定
- 脳室・脳腔の発達と脳組織成長の関係解析
- 正常例と発生異常例の比較
- 初期脳形成異常の早期診断指標の開発
- 三次元超音波による胚期脳体積評価との統合
を進める必要があります。
われわれの研究室では今後も、京都コレクションの貴重なヒト胚標本と高精細画像解析を用いて、正常なヒト発生の基準を明らかにし、将来の出生前診断に役立つ知見を蓄積していきます。
論文情報
論文タイトル
Morphometric human embryonic brain features according to developmental stage
著者
Ami Kobayashi, Koichi Ishizu, Shigehito Yamada, Chigako Uwabe, Katsumi Kose, Tetsuya Takakuwa
公開日
2016年2月6日
DOI
https://doi.org/10.1002/pd.4786
ひとこと
ヒト胚の脳は、わずかな期間に驚くほど大きく、そして複雑に変化します。
今回の研究では、その変化を「長さ」「面積」「体積」という複数の視点から測定し、発生段階ごとの成長パターンを明らかにしました。
特に、左右の側頭部の距離である両側側頭径が、脳全体や前脳の発達をよく反映することは、今後の超音波診断にもつながる重要な知見です。
発生初期の脳を正しく評価するためには、「どの時期に、何を測るのがよいのか」を知ることが欠かせません。
こうした基準データを積み重ねることで、正常発生の理解だけでなく、発生異常の早期発見にも貢献できると考えています。

